恋には色々あるけれど

今日は、なんとも切ない話を聞きました。

友人に、高校の教員をしている者がおりますが、気のいいヤツで、生徒からも親しまれているようで。

些細なことから深刻なことまで、相談を受けるらしいのですが、その中に、こんなものがありました。

 

相談した生徒をAとしましょう。Aさんは、同性が好きなのだそうですが、それを非常に気に病んでいるそうです。

 

「自分はまともじゃないのでは」

「おかしいのでは」

「普通じゃないのでは」

 

そんな気持ちを常に抱えていて、自分を大事にできなかったり、人より劣っていると感じてしまったりして、自棄になることもあるらしく。

かなり思い詰めていて、これ以上一人で抱えているのは辛い、と友人に相談をしたそうです。

 

話を聞いた友人は、よく話してくれたと喜んで、「あなたは真面目ですてきな子だ。同性が好きだということだけで、人より劣るなんてことはない」というようなことを返したのですが、Aさんは、いまいち納得しなかったそうで。

何か捻った意見をくれないか、と、私にお鉢が回ってきた次第です。が。

 

捻った意見なんて出せるかい!!

 

そういう難しいことは、頭がいい人にお願いして。

 

このご時世でも、と頭を抱えたくなりますが、周囲やメディアを見渡してみると、なるほど、異性愛=普通という等式を前提に、動いていることが多いです。

「気になる彼へのアプローチ方法!」とか、「女性にモテる男になるには!?」とか。

LGBTs、いわゆる、セクシャルマイノリティと呼ばれる人々向けの情報誌や、テレビ番組は、「特集」などの扱われ方をすることが多いかな、という印象です。

こんな中で暮らしていたら、そりゃあ辛くもなるでしょうし、自分は「普通」じゃない、と悩むことにもなるでしょう。よくもまあ、自棄を起こさずに生きてきてくれたな、と安心します。

 

でも、「異性が好き」、「同性が好き」、「どちらも好きにならない」、という性的指向と、当人が「まとも」か「普通」か、という判断は、別軸の問題ですよね。

異性愛=普通」「同性愛=異常」「無性愛=普通」みたいな等式は、成り立たないんです。少なくとも、私の中では。

 

その人がまともか普通か、という判断基準は、色々あると思いますが、私にとっては「感覚が自分と似ているか否か」です。

ここでいう感覚は、「生き物を、やむを得ない理由もなく、傷つけたり、殺したりしたくない」、「人が大事にしているものを、見下したり、馬鹿にしたくない」です。

この感覚と同じだったら「普通の人」だと思いますし、異なっていたら「普通じゃない人」だと思います。

そして、この感覚によると、Aさんは・・・どうなんでしょうね? なにせ、直接会ったことがないので、なんとも。

 

私の話を聞いた友人は、盛大にずっこけておりましたが、「その感覚に沿うなら、Aさんは、まともで普通だ」と言っていました。

少なくとも、Aさんを「普通だ」と思う人間は一人います。そう話してみよう、とのことでした。

吉と出るか凶と出るかは分かりませんが、もしも、そう言われたAさんが、少しでも気持ちを楽にできたらいいなぁ、と思います。